ミス・アメリカに選ばれるには、あらゆる面において他の人よりも輝きを放たなければなりません。自分自身に対して誠実で、並外れた無私の精神と謙虚さを兼ね備え、さらにどんな障害をも笑顔で乗り越えてみせるという能力を示さなければならないのです。
22歳のミケイラ・ホルムグレンはそのすべてにおいて素質がありましたが、他の人からは多くの障害を抱えているように見えていました。ダウン症の女性として初めて出場したミス・ミネソタ大会。人々は様々な意味で開いた口が塞がらなかったのです・・・
歴史に名を残す
ミス・ミネソタの称号を得ることはかないませんでしたが(ミス・ミネソタにはケイリー・ライトが選ばれました)、ミケイラは「スピリッツ・オブ・ミスUSA」と「ディレクター・アワード」の2冠を受賞するという信じられないほどの快挙を達成しました。ミケイラも「本当に驚いた」と感激した様子でした。
忘れられない日
受賞を知ったミケイラはステージ上で涙を流し、すぐに2017年のミス・ミネソタUSAのメレディス・グールドと事務局長のデニス・ウォレス・ハイントカンプに抱きしめられました。デニスはミケイラの推薦文を読み上げました。
「あなたは話すたび、応援するたび、微笑むたび、そして踊るたびに、見た人々を笑顔にしてくれます。あなたには普通という定義が当てはまりません。素晴らしい存在になれるのに、普通でいる必要もないのです。」
ミケイラ・ホルムグレン
ミケイラ・ホルムグレンは、幼い頃から壁や障壁を打ち壊すことを運命づけられていたようです。赤ちゃんの頃から、みんなを前向きにし、ミケイラがそこにいるだけで周りはいつも明るくなりました。
ミネソタ州スティルウォーター出身の彼女は、誰にも負けないほど生きる意欲に溢れていました。
その情熱はどこから?
ミケイラが夢中になったことの1つに、チアリーディングがありました。6歳のときからダンスを始めたミケイラですが、さまざまな面で自身の人生には欠かせないものになったと語っています。
ダンスのおかげで十分に自信がついたミケイラは、ミネソタ州バーンズビルのステージで誰もが目にするスターになるための扉を開いていったのです。
ダンスはミケイラの人生の大部分を占めている
その後、ミネソタ州のベセル大学に進学し、知的障がい者のための教育、就職、住居、社会学習体験に焦点を当てたインクルーシブ・ラーニング&ディベロップメント・プログラムを学びました。
そして、長年の夢であったベセル・ダンスチームに入ることができたのです。
信念の飛躍
「ダンスは私にとって、自分を表現する方法なんです。これは私の才能であり、私に何ができるのか、どうすればもっと多くのことができるかを人々に見せたいんです。」と、バズフィードのインタビューに答えています。
ミケイラはこのプロセスを通して特別扱いを望まず、自分の長所だけを見て判断してもらうことが肝要だと述べました。
これまでにも受賞した賞の数々
これらはミケイラが受賞した中でも最も名誉ある賞かもしれませんが、これまでにもさまざまな賞を獲得しています。2015年にミネソタ州のミス・アメージング大会で優勝し、それ以来、さまざまな大会などで受賞してきました。
自身の価値を問うために大会に出場して優勝しようと思ったわけではありませんでしたが、それでも優勝は嬉しいものでした。
2015年のミス・アメージング大会
ミス・アメージング大会は、障がいを持つ女性が自信を持ち、自分の可能性を最大限に発揮できるような支援環境を提供することを目的としています。
ミケイラが出場した同年は85人以上の女性が参加し、270人のボランティアが運営に関わり、年に一度のイベントを特別なものにしました。
特別な人が応援に駆けつける
ミケイラは、友人や家族からたくさん応援してもらっていました。特に、ミス・アメイジングの受賞者でもあったその人物が、応援のため大会に姿を現しました。
ミケイラは、友人や家族からの応援に感謝してもしきれない、と語っています。
ミケイラ、脚光を浴びる
全米ダウン症協会(NDSS)はダウン症の人たちの人権確保を目的とした代表的な団体です。
NDSSが毎年9月にニューヨークで開催するバディーウォークで、ミケイラの写真はタイムズスクエアの真ん中で紹介されました。
ベスト・バディーズのアンバサダー
ミケイラはまた、ベスト・バディーズ・インターナショナルのアンバサダーでもあります。
ベスト・バディーズ(BB)は、ボランティアのグローバルネットワークとの関わりを模索する非営利団体で、知的発達障害者のための1対1の友情、総合的な雇用、リーダーシップ育成を目的としています。
さらに、こんなことまで…
ミケイラの肩書きはこれで終わりではありません。ミネソタの子ども博物館でインターンもしているのです。勤勉で忙しくいることが好きなミケイラにとって、このインターンシップはとても有益なものとなっています。
また、ミケイラはスペシャルオリンピックにも体操選手として出場した経験も持ち、これも素晴らしい経歴のひとつとなっているのです。
早くから準備を始める
ミケイラが大会に出場することにおいて最も好きなことの1つに、大会の華やかさがあります。きれいに着飾って人前に出て、褒められることが嬉しくない人はいないでしょうが、ミケイラはその部分も大好きなのです。
きらびやかなドレスを着て、髪を整えて、観客に感銘を与えることができるのですから!
ファンも多い
歴史に残る快挙を成し遂げたミケイラは、アメリカ中で人気が急上昇して注目を集めています。バズフィードからニューズウィークまで、ミケイラに関する記事は数え切れないほどで、ファン層も拡大しています。
インスタグラムのフォロワーは1万人を超え、その数は日々増え続けています。
誇りを持ってミネソタを代表する
ステージに立つ他の候補者らと並び、ミケイラは幸せな時間を過ごしました。ミケイラがミス・ミネソタ候補として出場することを発表してから、ニュースの見出しを飾るようになりました。
前年に、同州の大会に参加したハリマ・アデンが、女性として初めてステージでヒジャーブとブルキニを着用したのに続き、ミケイラもまた、ダウン症で初めて州代表選考大会に出場を果たしたのです。
この物語を読んで、誰かを思い出した?
ミケイラといえば、オーストラリア生まれのモデル、マデリン・スチュアートの姿が思い出されるのは、あなただけではないはずです。
マデリンは、ニューヨーク・ファッション・ウィークのランウェイを歩いた初めてのダウン症のプロモデルとして知られています。フィットネスブランドのマニフェストやハンドバッグのエバーマヤとモデル契約を結んでいます。
マデリンについて
マデリンの最大の功績は、雑誌「VOGUE(ヴォーグ)」に登場したことです。また、ニューヨーク・ファッション・ウィーク2017でも公開された自身のファッションブランドを立ち上げています。ブランド名は「21 Reasons Why by Madeline Stuart(マデリン・スチュワートによる21の理由)」です。
この21という数字は、マデリンが21歳の誕生日を迎えたこと、さらにダウン症の特徴である21番染色体が1本余分にあることに由来しています。
アイザックはどうだろう
アイザック・「ザ・シャーマネーター」・マルケスは、先日、UFCのオクタゴンで憧れの人と戦うという夢を実現しました。アイザックはUFCのスーパーファンだと言い、総合格闘技(MMA)ファイターと戦うことができたのは、まるで夢をみているようだと語っています。
すべては、アイザックがいかにそのスポーツを愛しているかを語ったジムのインスタグラムの投稿から始まりました。
夢を実現させた
戦ったのは、MMAで長いキャリアを持つUFCファイターのディエゴ・サンチェスでした。しかし、イスレタ・カジノにきた観客が見に来たのは、ディエゴではありませんでした。
熱烈な観衆の声援を受け、32歳のアイザックは軽々と右フックを繰り出したのです。
母親に捧げた勝利
結局、アイザックは1ラウンドでディエゴを打ち負かすと、タップさせて勝利を収めました。アメリカのUFCファイターをタップアウトさせたアイザックは大喝采を浴び、両手を上げて歓声を上げながら勝利に浸ったのです。
アイザックはこの試合を認知症で亡くなった母に捧げましたが、彼の母親もさぞかし誇りに思っていることでしょう。