ビックリするほど素晴らしいキッチンのデザインも数多くあるものの、巨大なセラミック製の鶏の置物などは、そのうちの1つにはカウントされない。なぜなら、これはダサい飾りの1つだから。たとえば、ビールの空き瓶が並んだ棚、偽物のフルーツがはいったボウル、ありふれたメッセージの壁掛けなど、見るだけで恥ずかしくなるようなキッチンだが、それでも未だにこうしたものを飾っている人々はいる。
中には、こうしたダサいキッチンの飾りが流行っていたりするものだから、本当はいかにセンスが悪いかということに疑問を抱く人もいない。それでも、ここではそうしたダサさにツッコミを入れてみたい。ダサいキッチンの飾りの中でも特にダサさを極めているものを集めてみた。酷い、これはダサい、と声を大にして言おう。
明らかな部屋の表示
そう、誰だってキッチンがどこか分かる。シンクやらパントリー(食品保管棚)は、そのままシンクとパントリーに決まっている。たとえば家に小さな子どもがいて、文字の読み書きを習っているところだ、といったシチュエーションでもない限り、部屋にわざわざこんな表示は要らない。これまでキッチンを使っていた人にも、失礼かもしれないし。
もちろん、瓶などのラベルは役に立つ。来客があれば、どの容器にコーヒーが入っているのか、どの容器に砂糖が入っているのかが一目で分かる。瓶の中身が何かということは一目で分かるわけではないのだから、ラベルをつけることが役に立つのだ。つまり…キッチンが何なのかは、火を見るよりも明らかなのだから、表示は要らない。
キッチンデスク
キッチンに机がついているということは、その家はとても古い家だということだ。誰がキッチンで仕事をしたいと思うだろう。さらに、考えてもみよう。食べ物が飛び散ってしまう場所で、パソコンや仕事の書類が果たしてきれいに保てるのだろうか?どっちにしても、とてもいい考えだとは思えない。
お湯を沸かしていたり、オーブンタイマーを使用していたり、揚げ物をしていたり、耳障りな音に囲まれて、仕事がはかどることがあるだろうか?こういった理由から、たいていキッチンについている机は無用の長物となり、新聞紙や雑誌、セーターなどの服置場となってしまうのだ。
プラスチック製の皿
貧乏学生や20歳かそこらであれば、単に安いし、誰も家に呼ぶこともないからという理由で、プラスチック製のキッチン用品を使うこともあるかもしれない。が、セラミック製の皿を買う余裕があるのであれば、プラスチック製で手を打たなくてもいいのではなかろうか。というのも、プラスチック製の皿はほとんど役に立たないのだから。
プラスチック製の皿を見て思い出すのは、キャンプ旅行や貧乏だった大学時代のことだという人が多いだろう。こうした美しくもなく、思い出したくもない思い出だが、不自然な色合いの壊れやすい皿を見ていると思い出してしまう。プラスチック製の皿を思い切って捨ててしまおう。そうすれば、今の暮らしが10倍も良いものに感じられること間違いなしだ。
オープン棚
オープン棚はトスカナ式のキッチンによく見られるが、オープン棚そのものについて、考えてみよう。オープン棚でキッチンが物がいっぱいでごちゃごちゃしているように見えるばかりでなく、掃除するにも一苦労だ。およそ2.5mの高さにある瓶や鍋を一つ一つ動かしては埃を取り除く作業は、考えてみるだけでも、大変である以外の何物でもない。
家がオープン棚を備えつけたキッチンである場合、飾りをつけようにもあまり選択肢はないようだ。というのも、オープン棚自体にある物がすべて飾りのようなものだからだ。つまり、オープン棚を活かすには、質の良い瀬戸物を揃えるしかない。いや、それさえもごちゃごちゃ見えてしまうだろうか。
「納屋」を連想させるもの
納屋を連想させる飾りや置物を見たことがあるだろうか。たとえばセラミック製の鶏の置物、納屋のような大きい木製のスライドドア、吊下げ式のワイヤでできた照明、牛乳用のピッチャーの花びんなど。モダンなキッチンにこういったものが置いてあれば、まるで16世紀のフランスの田舎スタイルを再現しようとでもしているかのような、少し場違いであるような違和感を覚える。
納屋っぽいキッチンは、的外れだと思う。というのも、実際にはほとんどのキッチンは納屋でもなければ、農家でもないのだから。鶏でも飼っているのだろうか?まさか。牛などを飼っているわけでもないのに、どうしてキッチンを納屋に見せたいのだろう?
偽物のフルーツが入ったボウル
キッチンは何をするところだろう?そう、本物の食べ物を調理するところだ。ということで、偽物のフルーツをボウルに入れておく意味はないのではなかろうか。ピカピカしているプラスチック製の奇怪な小物は、明らかに「偽物」であり、遠目に見てもそれは分かる。さらに、これに埃がうっすらとでもかかっていれば、もうサイアク!
ということで、買うなら本物のフルーツを買おう。フルーツが嫌いな人はそういないし、フルーツボウルを使う人は、往々にして、落ち着いた暮らしをしている。偽物のフルーツは、「キッチンに本物のフルーツを買うのが面倒くさいほどにだらけている」と言っているようなものだ。
アルコール容器のディスプレイ
壁や棚にビール瓶などを並べる人というのは、バーテンダーか、男子大学生で社交パーティー好きか、アルコール依存症のどれかだろう。来客があったとき、よく知っている人でなければ、その人はおそらく、あなたがアルコール依存症か何かではないかと思うことだろう。そうでなければ、この人はまだ学生気分でいたいと思っているのかな、という印象を与える。
バーテンダーなのであれば、友人に飲み物を作ってもてなすのに、カクテルをキッチンに揃えておくのは便利だろう。ただ、ビール瓶などを飾りに使うのは、やっぱりダサい以外の何物でもない。
ワインをもてはやすようなスローガン
ワインにまつわる飾りは、どうもビール瓶の飾りつけとかぶるところがある。そう、アルコール依存症などを示唆しているような気がするのだ。さらに、キッチンの持ち主の「生意気そう」であったり「奇抜そう」であったりする性格を浮かび上がらせ、目立ちたがり屋のような印象も与えるものでしかない。
おそらく、こういったサインやマグ、皿をあちこちで見かけたことがあるだろう。「夕食(つまりワイン)が注がれた」だとか、「休暇とロゼ」、「ワイン語が流ちょうだ」等々。これらを買った人が思うほど、オシャレでも、気が利いている文句でもなければ、可愛くもない。どうしたって安っぽく見せてしまっている。
奇妙なほどに明るい色の冷蔵庫
もしかして、アメリカのホームドラマ「パパは何でも知っている」に出てたとか?そうではないなら、冷蔵庫を消防車のような赤や、明るいターコイズブルーに塗って、「1950年代のオシャレ」を再現する必要はないのではないだろうか。「レトロ」スタイルは、壁や家具など、すべての色が同じような配色になってこそ作られるものだ。冷蔵庫だけを明るくしても、どこか冷蔵庫だけに違和感を持たせてしまう。
レトロな見た目にしようとしてネオンカラーにしても、目が痛くなる。それよりもパステルカラーを選んだ方がマシかもしれない。それでもうまくやらないと、おかしいことにはなるけれども。
派手な模様のキャビネットの取っ手
キッチンをオシャレに飾りつけるポイントは、色と材料で統一感を出すことだ。柄の入った取っ手は、色でも材料でも、統一感とはまったく相容れないものだ。統一している色と同じような取っ手でない限り、こうした派手な色合いや柄は、けばけばしかったり、ダサく見えたりするだけだ。
最もやってはいけないことは、全部のキャビネットの取っ手に、異なる色を選ぶことだ。「シック」でも「ビンテージ感」もなく、単に組み合わせが悪すぎる。取っ手はキッチン全体にとっては小さいパーツであるため、シンプルに品よくいこう。
シェブロン柄のタイル
シェブロンはジグザグ状に繰り返されるV字型のパターンだ。キッチンに行くたびに目をチカチカさせたければ、シェブロンタイルはお勧めだ。落ち着かないだけでなく、キッチンで本当に重要な鍋やタオルなどを目立たなくさせる。
壁にシェブロンタイルで飾るよりも、さらにダメなのは、床にシェブロンタイルを使うことだ。こうすると、もうキッチン全体が目まいを起こさせるようなものだ。キッチンはいつ見ても、オシャレで、気分を上げるものにしよう。そして、けばけばしいシェブロンのデザインは家からなくしてしまおう。
メイソンジャーを使った小物
ここ数年、メイソンジャーが流行りのカフェなどでコップとして使われ、注目されていた。手作りのソースやジャムを入れるのに使わないのであれば、メイソンジャーを飾りとして使っているのだろう。かつてほどに斬新さはないものの、未だに流行りに敏感な人と見られたい人は使っているのかもしれない。
もちろん、メイソンジャーは乾燥させたハーブやソースの保管に便利だ。ただ、これを使って飲むのはさほど簡単ではない。さらに、メイソンジャーを使った照明やちょっとしたアクセサリーで部屋を飾るのが、新たな「ポイント」となっている。
トスカナキッチンスタイル
トスカナという言葉を聞いたことがなくても、このキッチンスタイルを見たことはあるだろう。木製の家具、吊下げられた鍋やフライパン、シャンデリア、コンロの上のイタリア製タイル。レストランなどでは、こうした装飾がプロっぽく見える。ただ、家の中でこれをやると、まるでフードネットワーク(アメリカの民放テレビ局)のセットでも作ろうとしているかのようだ。
トスカナキッチンはプロのシェフがいるからこそ役立つものなのだろう。というのも、実際にシェフは手の届く範囲にフライパンやニンニクがなければならないのだから。ただ、普通の人はイタリア料理のシェフでもないし、さもシェフであるかのように振舞う必要もない。
観葉植物でキッチンがごちゃごちゃ
そう、観葉植物は美しい。ただ、キッチンは庭ではなく、キッチンだということを覚えておかなければならない。部屋中をシダ植物や多肉植物でいっぱいにすると、必然的にそこら中に汚れが落ち、コンロの近くに吊るしておくと燃えてしまう可能性もある。さらに、すべての食べ物を二次感染させたくもないだろう。
多くの植物を置くことは、(本当はそこまででもないが)まるで自分が地球とより繋がっているかのような「フラワー・チャイルド(愛と平和を至上の概念とする人たち)」であるかのような印象を与える。薬草を取り扱う専門の人でさえ、キッチンではなく、庭で育てている。
レースのテーブルクロス
以前は、レースと言えば手作りだったりしたものだから、高級品であり、それを使うことがステータスとなっていた。が、今では、レースは安く作ることができるため、安価で買える。この写真のテーブルクロスには、20世紀初頭に見られた「ビクトリア・スタイルの魅力」が見られない。。。
レースはまた、繊細なものであるため、日常的に使われるキッチンテーブルなどで使用すると、長持ちしない。さらに、白地に白いレースを重ねた様子は、教会の祭壇を思い起こさせる。素敵で、かつ、丈夫で、上品な柄のテーブルクロスを選ぼう。
アンティーク調のキッチン家具
アンティーク調の家具は、アンティーク風にするためにわざと古びて見せている。家具の1つや2つにわざわざヤスリをかけて汚れ加工を施すと、シャビーシックな雰囲気が出せるだろう。だが、現代的な家の中に突如として「アンティーク」風なキッチンがあるのもどうだろう。ちょっとした違和感はないだろうか?
キャビネットや引き出しに汚れ加工を施しても、現代的なキッチンタイルや大理石風のカウンターなどとは合わない。現代的な家の中に「アンティーク」の風合いを入れても、人々はそこに違和感を覚えるだけだ。シャビーシックで家を統一するか、まったくアンティークにしないかのどちらかだ。
ステンレススチール製の業務用コンロ
ビンテージ風のダサさの反対にあるのが、モダンなダサさだ。「行き過ぎたモダンさ」には、ステンレススチール製のコンロやカウンター、電子レンジなどの電化製品が挙げられる。プロの使うキッチンにステンレススチールが使われるのは、清潔さのためだったりするわけだが、家庭でそこまで必要かと言われると…そうではなさそうだ。
ステンレススチールを使うことで生じる問題というのは、過度に使われることによって、まるで映画「アイ・ロボット」のワンシーンのように見えることだ。家に来た客に、まさかタイムトラベルを狙っていないよね?と思わせたくはないだろう?
白一色に統一したキッチン
白一色で統一されたキッチンは、目障りなだけでなく、常に綺麗に保たなければならないという煩わしさがある。そう、キッチンでは赤いソースが飛び散ったり、カウンターの上にパン粉がこぼれたりするものだ。こんな白一色の背景だと、こうした小さい汚れだってすぐに目立ってしまうため、キッチンを四六時中掃除しなければならなくなる。
そして、病院が白一色なのにも理由がある。衛生管理を簡単にするのだ。キッチンを病院の一室のようにしたいのだろうか?それとも家にしたいのだろうか。おそらく、後者だろう。白は研究室だけにしておこう。
いろんな色の重ね合わせ
たいていのキッチンには目に優しいグレーや黒、クリーム色を基調とする色が使われている。しかし1950年代の雰囲気を出したい人は、赤、黄色、青、白といった鮮やかな色を重ねて使いたがる。ハンバーガーを出す軽食レストランなどでは、そうした色使いもいいかもしれないが、家では落ち着かない。
多くの色を一度に脳に処理させようとすると、片頭痛の原因にもなる。キッチンが発作を起こすほどの色合いなのであれば、他の人のためにも色味を落とす必要がありそうだ。
他の部屋をお忘れなく
キッチンは派手なのに、残りの部屋が質素なままなのであれば、インテリアデザインは完璧だとは言えない。それはまるで、家の飾りつけが終わっていないかのようだ。しかも、キッチンが派手なのに、残りの部屋はほとんど飾りつけなし?家全体としてのバランスも悪い。
こんな状態であれば、もういっそのこと、家全体をダサくしたっていい。トイレにセラミック製の鶏の置物を置いて、「Live Love Laugh(生きて、愛して、笑う)」と書かれた壁掛けをリビングルームに飾ろう。1つの部屋だけがダサいよりも、全部の部屋を統一した方がよっぽどいい。
浴室のタイルで文字を浮かび上がらせる
家の中で人々がなぜかセンスのない飾りつけをしてしまう場所はキッチンだけではない。時には浴室、寝室、基本的には家全体を悪趣味な小物で飾りつけてしまうこともある。
さて、この写真を見て疑問に思うのは、どうして浴室のタイルを使ってまで、ここが「ホーム(我が家)」だと表示しなければならなかったのだろうか。来客用?それでもお客さんは来客用の部屋に泊まってまで、浴室のタイルで描かれた「ホーム」という文字を見たいだろうか?多分、タイルでホームという文字を作る前までは可愛いアイデアだと思ったのかもしれないが、作ってみると、極めて不必要だったということに気づくだろう。
カウンタートップの色
この浴室はまるで「1960年代に作られた」ことを強調してでもいるかのようだ。浴室を明るく、元気でハッピーな感じにしたかったのは分かる。だが、これはどうも成功しているようにも思えない。ターコイズ色と黄色のタイルは、色味がよく合っていないし、ハッキリ言って、買うべきタイルの色ではないのだ。
確かに1960年代には流行っていた。そして、1970年代や1980年代にこうした浴室があっても、まあ、そういう浴室もあるよね、という感じで済まされたことだろう。だが、2020年にもなって浴室がこんな感じなのであれば、改装工事をするときがきたのではないだろうか。
トイレの彫像コレクション
この写真をご覧いただきたい…。もうごちゃごちゃとしてしまって、何が何だか分からない。ふわふわの毛がついたトイレカバーから、カラシ色のカーテン、カウンターの上にある金色の胸像、トイレの横に置かれている1mくらいの像まで、ゴテゴテしすぎ!
ちょっと考えてもみよう。真夜中にトイレに行きたくなって起きたとして、トイレの電気をつけると突然、この胸像やら像やらが一斉にこっちを見ている様子を。どう考えても、「ナシ」の飾りつけに入るだろう。
単色の浴室
白ではない限り、浴室は単色で揃えない方がいい。たとえこの家にピンクが大好きな女の子がいたとしても、これはピンク過ぎるだろう。浴室が見るに耐えないものである場合、たいていの場合において、デザインに凝り過ぎてしまっているからだ。たとえ、その意図がいいものだったとしても。
この浴室の良い点を挙げるとすると、全部がタイルなので掃除をしやすいことだろう。浴室全体に水をかけて拭きとってしまえば、それで掃除が完了する。
ネオンの照明
シンプルなデザインのトイレに明るい差し色でアクセントを置くのは良いアイデアだと思う。だが、トイレがイビサ島(スペインの島)にあるダンスクラブのように見えてきたなら、少しやり過ぎているかもしれない。
おそらく初めの数週間は満足して過ごせるだろう。もしかしたら、数ヶ月はいけるかもしれない。だが、1年後にはネオンカラーの照明を後悔し始めるはずだ。来客があれば、間違いなく、会話の糸口にはなるかもしれないけれど。
ブリキ板で作った壁
分かる。Pinterest(ピンタレスト)であふれかえる素朴な雰囲気や、昨日の晩のアメリカのリフォーム番組「フリップ・オア・フロップ(ビフォーアフターのようなテレビ番組)」で見たのを真似してみようと思ったに違いない。ただ、ブリキ板の壁は、いただけない。
この奇抜なデザインの問題点は、シャワーの壁に金属が使われているところにある。金属は濡れたままだとすぐ錆びてしまう。そのため、素朴だった浴室の見た目も、数ヶ月後にはすぐに錆びついてみすぼらしくなってしまう。
柄入りのトイレ、さらに柄を合わせて
浴室とトイレが別になっている場合、トイレに柄もののタイルを使うことはあまり良い考えではない。住まいの専門雑誌「カントリーリビング」やPinterest(ピンタレスト)で、柄もののタイルなどを使ってトイレをデザインする方法がないのには訳があるのだ。
この写真のように、柄のタイルをフロアタイルと壁の両方に使ってしまうと、それはまるで、アメリカのちょっと古いホームドラマ「ベル・エアの新しい王子」に出ていたウィル・スミスが着ていたシャツのようだし、トイレの上にラーヴァ・ランプまで飾られているため、もうごちゃごちゃし過ぎて、なんだか落ち着かない。
モザイクタイル
この写真の床は溶岩のようで、もう誰もどこからコメントしていいのかも分からない。少しモザイクタイルを使うのは、アクセントになっていいだろう。ただ、アクセントというのは、「ほんの少し」だから効くのだ。ハッキリ言って、この浴室はちょっとモザイクタイルを使ってみた、というカテゴリにはどう考えても入らない。
これがたとえば、メキシコやキューバあたりのリゾート地の浴室だったら、こんなデザインの失敗も、どうにか良いと思ってもらえるかも…。いや、ないか。
シャワーアート
シャワータイルを使って文字を作らない方がいいのと同じように、シャワー室全体を巨大なモザイクに変える必要もない。こんな壁画を作るのに使うお金も時間も、他のことに使った方が良さそうだ。一般的な白いタイルを使うこともぜひ検討してほしい!
何度かここでシャワーを浴びた後、こんな壁画も見慣れてしまって、すごく時間を費やしてデザインし、完成までに数万円~数十万円も使ったこの壁画にも、そんなに注意を払うこともなくなるだろう。その代わりに、数枚の絵や写真を壁にかけた方がよっぽどいい。
シャグカーペット
これはまるで、ホラー映画のワンシーンから抜け出てきたようだ。どのホラー映画に出てきたかは分からないが、1980年代の趣味の悪いホラー映画に出ていたような気がする。そして、こういったシャグカーペットは、そういう映画で使われるだけで十分だ。
シャグカーペットを毎日掃除しようと思ったら、もうこれは現実的にはムリなことにお気づきだろうか。シャグカーペットを使おうと思ったのがそもそもの間違いだろうが、寝室のフローリングすべてに飽き足らず、ベッドフレームまで、シャグカーペットで覆う必要はまったくなかったのではなかろうか。
カーペットで全部を覆う
これは、実物大のネコタワーのように見えるが、実は、誰かの家の中の様子なのだ。こんなにカーペットが必要な人なんて、どこにもいない。ここまでカーペットで覆うことで考えられるメリットがあるとするならば、お宅の子どもがかなりのおっちょこちょいである場合だろうか。これで、大怪我をする心配はないかもしれない。このプラシ天生地がこけたりしたときの衝撃を吸収してくれるだろう。
シャグカーペットと同じような状況だが、まったく必要性が感じられない。カーペットでどこもかしこも覆いすぎだ。掃除をするのも大変だし、将来的に家を売ることになったとしても、誰もこんなカーペットで覆われた部屋がある家は買いたくないだろうから、結果的に取り替えなければならなくなるだろう。
壁画のある家
さて、ここらで家の中の壁一面に描かれた壁画を撤廃することにするのはどうだろう?リビングルームをトロピカルな場所のように見せる必要はまったくないし、子どもらの寝室をまるで海の中で暮らしているかのようにする必要もない。それに、ダイニングルームをまるでジャングルの中で生活しているかのように見せる必要もない。
シンプルな部屋に何か素敵なアクセントが欲しい?お好きな色を選ぶといい。ただ、3mもの壁一面を使って、ヤシの木をリビングルームに出現させるのは、いかがなものだろうか…。
すべてにテーマを
皆さん、覚えておいていただきたい。家のすべてをテーマと結び付けなくてもいいということを。シンプルな一色のカーテンだからといって、誰もそれだけであなたの価値観を決めつけてしまわないし、おそらくはほとんどの人がそこまで気づかないだろう。ただ、この写真のカーテンのように、ぐるぐる巻きになった奇妙な窓際のアクセントには気づくだろうが、これを見て、感嘆してくれる人もいないだろう。
これがどんなテーマと結び付いているのかさえ定かではないが、度を超してしまうこともあるということは明らかだ。過ぎたるは及ばざるがごとしとは、まさにこのことだ。
階段のにも絵を
階段にまで絵を描くのはやめようということで、皆さんからの同意は得られないだろうか?ケネディ大統領を階段に描こうと、階段の蹴上げ部分にモザイク画で描こうと、実際の階段の踏み面がどこだろうかと一瞬分からなくなってしまう。これでは階段としての役目を果たさないばかりか、危ないこともあるだろう。
少なくとも、この写真の家の持ち主は、階段の踏み面にカーペットを敷いているため、どこが階段なのか分かるようになっているものの、ワシントンD.C.の国会議事堂やケネディ大統領の飼い犬まで、詳細に描く必要はあったのだろうか…。
凝った装飾のベッドフレーム
誰も、実際にこのベッドで快適に眠ることはできないだろう。ベッドフレーム周りのとんでもなく華美な装飾のどこかに、手や足があたったりして、一晩中気が休まることがないだろう。
真夜中にふと目が覚めて、ドアに吊下げたセーターや、椅子の上に積み上げた洋服が、人のように思えてギョッとしたことはないだろうか。このベッドならば、目が覚めたときに、実際にケルビムたち(天使)に見つめられていることは間違いない。
オープンな浴室
配偶者やパートナーに絶対的なほどの居心地の良さを感じていないと、この家では二度とプライバシーといったものは存在しないだろうから、住みづらく感じてしまうことだろう。この家がダサいとは思わないかもしれないが、全面ガラス張りのトイレなど、モダンすぎている、行き過ぎた例だろう。
夜中に起きてトイレに行きたくなった場合にも、スポットライトの照明を浴びる覚悟が必要だ。さらに、トイレの後に手を洗うのも、配偶者が寝ている枕元だ。それでも問題ないというのであれば…何かが間違っている。
屋根の代わりに植物
観葉植物で覆われている天窓があるのに、屋根なんて、必要があるだろうか?観葉植物を数鉢分部屋に置くだけで、部屋が活気づく良い方法だとは思うが、これはちょっとデザインした人の意図からは外れているような…。この部屋はまるで、映画「ロード・オブ・ザ・リング」に出てくるホビットの家のようだ。
これがアクセント程度だったらと思うのだけど、天井に張り巡らされた形の木の幹の梁を見ても、こうすることを誰かが意図していたのだとしか思えない。どうして普通の寝室のデザインで満足できなかったのだろう?
暖炉まで飾られている
暖炉を顔の口のように見立ててデザインしたり、金色の華美な時計を暖炉の上に置いたり…。そのどちらも必要ない。暖炉は暖炉として、そのままにしておいてほしい。
暖炉の炉棚を使って、家族写真を飾ったり、誕生日にもらったカードを飾ったりするのは理解できる。そういったものは暖炉の飾りとしても一般的だが、暖炉周りに彫刻を施す必要はない。この写真に少しだけ写っている暖炉周りに広がるカーペットがシンプルな色合いのものであることを考えても、おそらくこの暖炉は部屋とミスマッチして、違和感を与えているに違いない。
天井にベッドのスプリング
何これ?と思われるだろうか。我々にも、分からない。万が一、怪我してしまったときに、何と説明すればいいのだろう。天井に吊下げていたベッドスプリングが落ちてきて怪我したんです?とでも言うのだろうか…。これはまさしく、「起こるべくして起こった事故」と言えるのではなかろうか。
月曜日の朝から、金属のベッドスプリングが天井から落ちて、運悪く目に刺さって子どもを怪我をさせてしまうことのないような、そんな寝室の飾りつけ方法は他にもたくさんある。
不気味としかいいようのない形のトイレ
柄ものタイルで飾られたトイレ以外にも、トイレではない形をしたトイレを自主的に購入する人もいるようだ。特に、この写真のトイレ、恐ろしいとしか言いようがない。
さて、こんなトイレに一体人はいくら払うというのだろうか。もしかして、カスタムメード?もしくはこんなのを複数個、売ってるお店があるのだろうか(売れても1年に数個だろうが)?こんなトイレに行くか、それとも外で用を足すかの究極の選択をつきつけられたら、犬を連れて裏庭にでも行こうかな…。