私たち人類は、頭数(あたまかず)によってもたらされる力を理解して以来、一つの種として生き、繁栄するために社会を形成してきました。しかし、一部の人々は、小さなコミュニティーの中での生活に飽き足らず、他のグループを征服し、統一することで得られる可能性を信じていました。こうして生まれたのが帝国です。
歴史上、数え切れないほど多くの帝国が興っては滅しましたが、その規模や強さ、支配を維持した期間の長さなどから、偉大だとされる帝国がいくつか挙げられます。ここでは、歴史上最も強力な帝国と、それらが成し遂げたことをご紹介します。
古代の帝国、アッカド帝国
シュメールに続いて、メソポタミアで最初の帝国となったのがアッカド帝国で、その名前はアッカドという都市にちなんで名付けられました。アッカド帝国は、アッシリア、バビロニア、シュメールの文化や言語が一つの帝国に統合され、メソポタミア全域に勢力を拡大していきました。
アッカド帝国の創始者はサルゴンとさ れていますが、圧倒的に武力に優れ、勢力を拡大し、安定させたと言われています。この帝国は紀元前24世紀から22世紀にかけて全盛期を迎えました。アッカドを歴史上最初の帝国と考える専門家もいますが、歴史家の間でも意見が分かれています。
満州から黒海にまたがる最初のトルコ系可汗国
6世紀、中世の内陸アジアに築かれた突厥汗国は、第一次テュルク帝国とも呼ばれています。ブーミン・カガン(伊利可汗)とその弟イスタミ(室点蜜)が統治しました。モンゴル高原を制圧して間もなく、この帝国は中央アジアに進出し始めます。
やがて、中央アジア初となる大陸を横断して領土を広げ、大帝国となりました。西暦603年、内乱により帝国は崩壊し、東突厥と西突厥に分裂しました。
ムハンマドの死後、イスラム共同体の初代正統カリフとなったアブー・バクル
イスラム教の預言者ムハンマドの死後、西暦632年に設立されたイスラム共同体の正統カリフは、イスラム教スンニ派に属するカリフ4代を示します。ムハンマドの親友であったアブー・バクルが初代指導者に選ばれ、直ちにアラビア半島に勢力を拡大し始めました。
軍事力の強さで知られるラシダン(正しく導かれたカリフ)軍は、最盛期には10万人以上の兵力を有し、650年代にはアラビア半島、レバント、エジプト、北アフリカ、イラン高原、中央アジアと南アジアの一部を支配下に置きました。
鉄の拳で征服したモンゴル帝国
モンゴル帝国は、チンギス・ハンという獰猛な征服者のもと、多くの遊牧民族が統一して成立しました。モンゴル軍は無慈悲でライバルに対する軍事的支配で知られ、帝国は急速に拡大し、最終的にはアジアの一部、東ヨーロッパ、中央ヨーロッパ、日本海、北極圏、イラン高原、さらにその向こう側までその勢力を拡大させていきました。
モンゴル人の勢力拡大は止まらず、東洋と西洋、太平洋と地中海を結ぶ、歴史上最大級の帝国となりました。しかし、西暦1206年から1368年まで続いたこの帝国は、後継者をめぐる戦争で衰退しました。
マウリヤ朝、インド史上最大の帝国
鉄器時代のマウリヤ朝は、紀元前322年から185年にかけてインド亜大陸を支配していました。主にマガダ国を本拠地とし、首都をパタリプートラにおいて、およそ500万平方キロメートにわたるインド史上最大の帝国でした。
チャンドラグプタ・マウリヤは軍隊を創設すると(アレクサンドロス大王が制圧し、死後任命していた)総督らを制圧した上、ナンダ朝やセレウコス朝を打倒することに成功し、帝国を創設しました。この帝国は非常に広大であることに加え、貿易、農業、金融の面でも先進的な発展を遂げました。
ウマイヤド朝、歴史上最大のイスラム帝国だった
ムハンマドの死後、4大カリフのうちの2番目のカリフであるウマイヤ朝は、西暦661年から750年にかけて周辺の土地を次々と征服していきました。その規模は最大で1100万平方キロメートルを超え、歴史上最も大きな帝国のひとつとなりました。
そのため、数え切れないほどの民族や文化を統治し、キリスト教徒やユダヤ教徒に対しても、税金を課すことで信仰を認めました。また、キリスト教徒や非イスラム教徒でも、官職や高い地位に就くことが可能でした。この時代は、イスラム美術にとって最も重要な時代の一つであると言われています。
中国の人口急増を支えた明朝
大明とも呼ばれる明朝は、1368年から1644年まで中国を支配し、漢民族が統治した最後の帝国王朝と言われています。天才的な手腕により、明朝は周辺に自給自足の共同体を築き、恒常的な兵士の確保を可能にしました。
一時は100万人を超える軍隊を有し、世界最大の造船所も持っていました。さらに、明代には中国の人口が倍増し、西洋との交易も確立さ れました。
ペルシャで最も長く存続したササン朝
ササン朝ペルシャは、紀元7世紀にイスラム教徒に征服されましたが、最後のペルシア帝国と言われています。この帝国は224年から651年まで続き、歴史上最も長いペルシャの王朝でした。
アルダシール1世が建国し、帝国の領土を拡大し、大きな成功を収めました。最盛期には、現在のイラクとイラン、地中海東部からパキスタン、中央アジアまでを領土としていました。
大英帝国は歴史上最大の帝国だった
16世紀から18世紀にかけての大英帝国は、植民地を含む、イギリスが保有するすべての領土の総称でした。大航海時代、イギリスはポルトガルやスペインに倣い、いち早く領土を獲得し、植民地化し、貿易網を確立したのです。
その結果、イギリスは大成功を収め、史上最大の帝国に成長しました。1913年までに、大英帝国は世界人口の24%以上を支配し、1925年には3500万平方キロメートルもの領土を統治していました。しかし、第二次世界大戦の前後から、大英帝国はその領土を大幅に失っています。
マケドニア帝国の最盛期はアレクサンドロス大王の時代
ヘレニズム期のギリシャを支配した古代王国マケドニアは、紀元前4世紀以前は小さな都市国家に過ぎませんでした。紀元前359年から336年にかけてフィリップ2世のもと、主に征服によってギリシア本土を支配するまでに成長したのです。
しかし、マケドニアを新たな高みへと導いたのは、その息子であるアレクサンダー大王でした。アレクサンダーはギリシャ全土を掌握し、アケメネス朝を征服し、インダス川にまで及ぶ領土を支配下に置いたのです。この大幅な拡大により、マケドニアは当時世界最強の帝国となり、古代ギリシャ文明の大進化の道を切り開きました。
アケメネス朝時代の政治体制
第一次ペルシャ帝国としても知られるアケメネス朝は、何世紀にもわたって新アッシリア帝国に支配されていたイランの遊牧民ペルシャ人により築き上げられた帝国です。この帝国はキュロス2世によって建国され、紀元前550年から330年まで続きました。
アケメネス朝は急速に発展し、官僚制度や道路、郵便制度、公用語の開発など、政治的な功績が印象的です。一時はその領土が550万平方キロメートルを超える歴史上最大の帝国となりました。
中国の歴史上、黄金期とされる漢の時代
紀元前202年から紀元後220年まで続いた漢王朝は、秦王朝に続く中国第二の王朝で、最終的に前漢と後漢の2つの時代に分かれましたが、漢の時代は、中国の歴史上最も偉大な時代のひとつとされ、その後の文化に深い影響を与えました。
この時代、漢民族が台頭し、社会は大きな経済的繁栄を遂げ、貿易が盛んになり、科学技術、戦争、数学などにおいて驚くべき発展を遂げています。
シュメールでは最古の文字が作られた
チグリス川とユーフラテス川に挟まれた肥沃な三日月地帯に位置するシュメールは、古代メソポタミア文明であり、シュメール人は近代文明の創造者と考えられています。
この地域に最初に定住した人類は、紀元前4500〜4000年頃のウバイド人で、この人々は農業や建築などに関して驚くべき進歩を遂げました。やがてシュメールは、石壁と運河で守られた独立した都市国家に分かれました。人類最古の文献は、ウルクとジェムデット・ナスルという都市で書かれたものです。
オスマン帝国、ビザンツ帝国を征服
14世紀から20世紀にかけて、オスマン帝国は東南ヨーロッパ、北アフリカ、西アジアの大部分を支配する巨大な勢力でした。1300年代半ばに部族長オスマン1世によって創設されたオスマン帝国は、ヨーロッパに進出し、バルカン半島全域を征服し始めます。1453年にはコンスタンティノープルを略奪し、ビザンツ帝国の終焉をもたらしたのです。
その頃までには、オスマン帝国は大陸を横断し、あらゆるものにおいて信じられないほどの発展を遂げていました。オスマン帝国はコンスタンティノープルを首都としましたが、ここは東洋と西洋の世界が出会う最高の場所であったと考えられています。しかし、この帝国も20世紀には崩壊しました。
世界各地に広がるフランス植民地帝国
海外植民地の集合体であるフランス植民地帝国は、一般に2つの時期に分けられます。1814年まで続いた第一次フランス植民地帝国と、1830年のアルジェの敗戦を契機とした第二次フランス植民地帝国です。
植民地帝国の誕生は、17世紀にフランスがカリブ海、インド、北米に植民地を獲得したことに始まり、やがてアフリカ、インドシナへと広がっていきました。第二次フランス植民地帝国は、最盛期にはフランス全土を含む史上最大級の領土となり、1930年代には1100万平方キロメートル以上、人口1億1000万人となりました。
インカ帝国、先コロンブス期のアメリカ大陸で最大の帝国だった
13世紀、ペルー高原に誕生したインカ帝国は、北米最大の先コロンブス文明でした。1438年から1533年にかけて、現在のペルー、エクアドル西部、ボリビア南部、チリ、アルゼンチン北西部、コロンビアにまたがる南米の主要な地域を支配していました。
インカ帝国は、武力と外交を駆使して発展していきました。しかし、この文明が興味深いのは、車輪、鉄、鋼鉄、そして文字といった旧世界の道具を一切使わずに、文明を発展させていき、たくさんのことを成し遂げていたという点です。
アッシリア帝国、他の帝国を制圧
アッシリア帝国はメソポタミアに位置し、紀元前25年代に設立され、青銅器時代前期から中期、鉄器時代にかけて存在しました。アッシリアはシュメール、アッカド、バビロニアなどの有力な帝国の制圧に成功しました。
その後アッシリア帝国は、軍事力によって東地中海からイラン、南はアラビア半島とエジプトまで勢力を伸ばしました。帝国の年表は、初期、古アッシリア帝国、中アッシリア帝国、新アッシリア帝国に分けられ、紀元前609年に終焉を迎えています。
西洋文化に多大な影響を与えたローマ帝国
ローマ帝国とは、共和制以降の古代ローマであり、かつ、皇帝によって支配されていた時代と定義さ れています。地中海、北アフリカ、西アジアなど世界各地に広大な領土を獲得し、効率的で進歩的な軍事主導の帝国でした。
その後ローマ帝国は、西ローマ帝国と東ローマ帝国(別名ビザンツ帝国)に分割されました。西ローマ帝国の滅亡とビザンツ帝国の変容により、時代は中世へと突入します。ローマ帝国の影響は、今日でも芸術、政治、経済、哲学などの分野で強く感じることができます。
太陽が沈まない国、スペイン帝国
西暦15世紀から19世紀にかけてのスペイン帝国は、ヒスパニック君主制、あるいはカトリック君主制とも呼ばれ、歴史上最も大きな帝国でした。この帝国をこれほどまでに巨大にしたのは、海外で獲得した領土の多さによるものです。
ヨーロッパ、新大陸、東南アジア、フィリピン、アフリカ、オセアニアなど、世界各地に領土を有していました。「太陽が沈まない帝国」とも呼ばれ、16世紀から17世紀にかけて最も強力な帝国の一つであり、18世紀にピークに達しました。
ロシア帝国は歴史上3番目の大きさだった
ロシア帝国の発足は、大北方戦争終結後の1721年に始まります。ロシア帝国がこれほど早く大きくなり、成功した理由の一つは、同時期にオスマン帝国、ペルシャ、スウェーデン、ポーランド・リトアニア連邦などのライバル勢力が衰退していったことだとされています。
大英帝国とモンゴル帝国に次いで、歴史上3番目に大きく、ヨーロッパ、アジア、北アメリカの一部を支配し、最も強力な帝国でした。1917年の二月革命で崩壊するまで、絶対王政の下で統治されていました。