ミック・マイヤーズは、ずっと路上生活をしていました。彼は、周りの家族や友人、社会の人々からも完全に無視されていました。
そんなときに、群の保安官代理がマイヤーズの身元を証明し、感動の結末を迎えることになったのです。一体、彼に隠された過去とは?
自分の本当の名前さえ知らなかったミックの子供時代
ミック・マイヤーズが知っていることは、1950年生まれで、2歳の時にカリフォルニア州のサン・リアンドロにいた家族に引き取られたことだけでした。実際のところ、"ミック・マイヤーズ"が自分の本当の名前かどうかも知りませんでした。
子供の頃には、マイヤーズは、しっかりと勉強し、高校でもマーチングバンドクラブにも所属していました。残念なことに、大きくなるにつれて、状況が変わっていき、十代になってから、兄弟の間で違和感を感じ始め、うまくいかなくなってきたのです。
家族を失う
養父母がいなくなってから、兄弟、親戚がマイヤーズを引き取ることを拒んだのです。引き取られた子供が、こういう運命を辿るのは目づらしいことではなかったのです。この時、マイヤーズは、サン・リアンドロの幼馴染ともうまくいかなくなったのです。
すぐに、マイヤーズは、仕事も失って一人で生きていくことになったのです。マイヤーズは、だんだん生きる目的すら失っていったのです。
マイヤーズ、仕事を見つける
ラッキーなことに、マイヤーズは、自分の好きなトラックの運転手として働くことができたのです。色々な所へ行くことができ、規律のある生活ができ、マイヤーズはとても楽しんでいました。いつもいろいろ運転していましたが、毎日スケジュールがあって忙しくし、同僚とも仲良くしていました。
マイヤーズは、時にはしっかり仕事をしていましたが、またホームレスになるんではないかという恐怖に直面していました。これまで自分がやってきて努力が無駄になるのではと恐れてたのです。
交通事故でけがをする
マイヤーズは、トラックの運転手として充実した生活を送っていましたが、不運なことに、交通事故にあってしまったのです。その交通事故で、腰を骨折してしまい、何週間も入院しなければなりませんでした。
退院した後も、マイヤーズは、次の年も車いす生活を余儀なくされ、その後も、松葉づえでかろうじて歩けるまでにしか回復しませんでした。しかし、一番つらかったことは、もうトラックの運転手として働くことができなくなってしまったことです。
ミック、67歳にして人生の大半をホームレスとして暮らす
67歳にして、この男性は、家族や生活保護もなく、一人で路上生活をしていました。路上で物乞いやギターを弾いて、何とかその日その日を過ごしていました。2017年に67歳になったマイヤーズは、人生の大半をホームレスとして暮らしていました。
もちろん、ひとりぼっちではありませんでした。アメリカのホームレスの25%は、カルフォルニアに住んでいるのです。2017年のアメリカ合衆国住宅土地開発省によると、アメリカ国内のホームレスの数は、55万4千人以上になると見積もられています。
保安官代理のジェイコブ・スォールウェルと運命の出会い
2017年の11月、このホームレスの男性は、カルフォルニアのヘイワードの高速道路で保安官代理のジェイコブ・スォールウェルと出会いました。でも、これが彼らの最初の出会いではあなかったのです。そのジャンクションで、このホームレスの男が、物乞いをし、ギターを弾いていて、スォールウェルが、何度もここで物乞いをするのを注意していたのです。
この33歳になる警官は、そのホームレスの男に注意をしてはいましたが、会話というものはしたことがありませんでした。その警官が知っていたのは、この男がホームレスで、よくフットヒル通りで物乞いをしていたことだけでした。
思いやりが続く
一度、スォールウェルは、そのホームレスに物乞いをするうえでの許可証的なものをあげることにしたのです。もちろん、このホームレスに身分証明書などもなく、そこから二人の会話が始まることになったのです。
このホームレスの男は、保安官代理に自分の家族のこと、身体障害のこと、自分の人生について語りだしたのです。身分証明書なしでは、社会保障も受けることができず、そうなると路上生活がもっと大変となるのです。この男の人生の大半は、証明書なしで生きてきたのです。
今も就活中
怪我をしているとしても、マイヤーズは、生きていくために仕事をしないといけないと考えていました。しかし、腰の状態のせいで、健康な人たちからすれば何でもない仕事が彼にとっては大変ことだったのです。
マイヤーズが応募した多くの仕事は、何時間もたっていなければならない仕事で、それは彼の腰に大きな負担がかかったのです。製造業から飲食業、また車両管理局でも働いた経験がありました。
手を貸す
もちろんマイヤーズは、身分証明書が欲しかったのですが、それを申請するのに必要な書類が一切なかったことなど話してきかせました。そのため、国からの援助も受けることができなかったのです。
スォールウェルは、どうすることもできませんでしたが、マイヤーズの状況を不憫に思い、"もう大丈夫。僕に任せて。身分証明書もとれるようサポートもするし、それで、社会保障も受けれるようになる。路上生活も終わりだよ"と、励ましたのです。マイヤーズは、スォールウェルにとても感謝し、二人の友情が芽生えた瞬間でした。
どうして助けたのでしょう
何千人ものホームレスがカルフォルニアにいるにもかかわらず、どうしてスォールウェルは、マイヤーズを助けようとしたのでしょうか?スォールウェルは、マイヤーズが、"信用できて真面目な人間"と感じたからで、必ずしも警察官が経験することではないようです。
スォールウェルが、マイヤーズの話を信じようと思ったのも、マイヤーズが、決して酒やドラッグに手を出さなかったことにあります。いつも近くにあるファストフードレストランで食べ物を買うだけですべてなくなってしまうのです。
スォールウェル、すぐに動く
スォールウェルは、マイヤーズが必要な書類を集めるためにすぐに行動に出ました。まず初めに、車両管理局によって、マイヤーズの記録を辿り、どうなっているのか調べました。困ったことに、マイヤーズが、車両管理局で昔働いていたにもかかわらず、その記録が抹消されていました。
マイヤーズが、国の身分証を取得するために、出生証明書とカリフォルニア州の住民票が必要でした。スォールウェルは、この過程が難しいことはわかっており、どうやって、マイヤーズがこの書類を取得できるか頭をひねっていたのでした。
他にも助け舟が
スォールウェルは、教会の牧師と、アラミーダ保安官事務所にも支援の申請を出し、そのおかげで、住民票に必要な書類をなんとか用意することができました。スォールウェルは、同時にマイヤーズの出生証明書のために、マイヤーズが生まれた病院にも連絡を取り始めたのです。
ようやく、保安官代理は、出生証明書を手に入れ、すべての必要な書類を車両管理局に提出し、何回にもわたる役所とのやり取りの後、2017年の12月にやっとマイヤーズは、身分証明書を取得することができたのです。
出生の秘密
マイヤーズの書類を調べたところ、ミックは、マイヤーズの名前ではなく、ミドルネームのショートネームだったのです。マイヤーズの本当の名前は、ゴードン・マイケル・オークレイだったのです。マイヤーズの話が地元のメディアに伝わると、スォールウェルにもその連絡が入ったのです。
ホームレスを路上生活から救った警官が有名になるのに時間はかからず、この話のおかげで、マイヤーズが必要だった違う形の支援にも広がっていったのです。
マーク・アスキンズが無料で支援を
マーク・アスキンズは、経験豊富な私立探偵で、マイヤーズの話を聞いて、すぐに興味をもったのです。時折、マークは、ミラクル・メッセージというチャリティーで、ホームレスの人たちの家族や友達を探す手助けをしていたのです。
そこで、マークは、スォールウェルに連絡を取り、マイヤーズの生みの親を探す手伝いをしたいと申し出たのです。スォールウェルも、これはきっとマイヤーズが、路上生活から抜け出すのに良い手助けになると感じ、ミラクル・メッセージからの申し出を受け入れたのです。
マイヤーズは外の世界とは無縁
ホームレスの多くは、家族と連絡を取るのがスムーズにいかないことが多いのです。恥ずかしかったり、知識がなかったり、テクノロジー不足だったり、精神的障害を患っていたりなど、数えきれない様々な理由でアスキンズに支援を頼らざる追えないことが多々ありました。
他の数えきれない多くのホームレスと同様に、マイヤーズも、探索の網からすり落ちてしまったのではないでしょうか。それに加えて、マイヤーズは、テクノロジーの発達とは無縁の生活をしており、1980年代からインターネットや携帯電話などの最新の技術も手にしていなかったのです。
情報を突き止める
スォールウェルから得られた情報をもとにマーク・アスキンズは早速仕事を始めました。マイヤーズの本当の名前、生年月日、生まれた場所、そして母親の名前をもとに、アラミーダ群の裁判所で書類を調べ上げ、現在生存する親戚の所在を探しました。
現在、新生児が生まれると、その情報はデータベースに正確に記録されます。残念ながら、1950年代は、そうではなく、情報は手書きで記録され、その管理もずさんでした。実際の所、20世紀初頭の記録は、まだ電子化されておらず、公的にも公開されていないのです。
有益な情報が!
ようやくアスキンズの苦労が実を結び、裁判所である一つの報告を見つけました。それは、マリー・ポーリン・オークリーという名前の若い女性で、ウィリー・アルバート・オークリーという名前の男性と結婚していたのです。二人は、アラミーダに戻ってくる前にレノという町で、ささやかな結婚式をしており、ミック・マイヤーズとして知られるようになる子供を連れて帰ってきたのです。
二人は、結局離婚することになり、違う道を歩みはじめ、ミックは養子に出されることになったのです。アスキンズは、すぐにマイヤーズの生みの父親を見つけだしたのですが、数年前にすでに亡くなっていました。
母親の居場所は
マイヤーズの生みの母親を探しはじめ、彼女の名前がユニークな名前ではなく、年齢もわからず、もうすでに亡くなっている可能性もありました。探索から2-3週間後に、アトキンズは、マリー・ポーリン・オークリーが、カルフォルニア州のユーレカに住んでいることを突き止めました。
アスキンズは、母親に会いに行くことを決め、電話をかけたのです。年配の女性が電話口に出て、オークリーさんは、当時も健在で85歳でした。今は、マリーではなく、ミドルネームのポーリンと呼ばれているようでした。
養子に出した理由
アスキンズは、すぐにポーリンにマイヤーズのことを聞いてみました。彼女は、自分の息子のことを聞いて驚いたとともに、ずっと元気にやっているか気になっていたのでした。ポーリンによると、ゴードンという名前で生まれたマイヤーズは、胃に穴が開いた状態で生まれてきたのです。それは、生死にかかわるものでした。
ポーリンは、いくつも仕事を掛け持ち、一生懸命頑張って息子の医療費用を工面していたのです。結局、ポーリンは、息子を養子に出すことが、一番最善の選択で、幸せになる近道だと決断したのです。
母親と息子の最初のコンタクト
ポーリンが、息子の養子縁組を決めてから、マイヤーズは、未来の育ての親となる同じ教会に通っていた夫妻に引き取られたのです。ポーリンは、最後の最後まで悩んでいましたが、結局、これが息子にとって最善の選択だと心を決めたのです。
アスキンズが、ポーリンにマイヤーズのことを聞いてから、ポーリンは、離れ離れになった自分の息子にとても会いたがっていました。2018年の3月に、ポーリンとマイヤーズは、電話で話すことができ、それからお互い連絡を取るようになっていったのです。
母親に会いに行く
母親との最初の電話から数週間後、アスキンズとスォールウェルから肩をたたかれたこともあり、マイヤーズは、ユーレカ行きの飛行機に乗って母親に会いに行ったのです。マイヤーズは、2歳の時に養子に出されていて、生みの母親の記憶は全くなかったのです。
飛行機から降りると、サプライズがあって、そこにマイヤーズの姪のシャノンが迎えに来ていました。マイヤーズ、アスキンズ、そしてスォールウェルは、シャノンの車に乗って、ポーリンの家へ向かいました。
再会する
ポーリンのうちにつくと、そこには生みの母親であるポーリンが出迎えてくれたのです。2歳の時に別れてから、初めての再会となるのです。二人の間に流れた60年という長い月日にも関わらず、ふたりは長い間抱き合っていました。
母親と息子は、お互いもう一度会えるのかわからないまま過ごしてきて、感極まってお互いの腕の中で泣きました。特に、長い間路上生活をしてきたマイヤーズにとって、それはとても感慨深いことだったのです。
失われた時間を取り戻すかのように
抱き合った後、マイヤーズと母親は、50年間の離れ離れになった時間を取り戻すかのように話し続けました。ポーリンは、昔のアルバムを取り出し、自分自身、彼女の母親、マイヤーズの兄弟、そしてマイヤーズが赤ちゃんだったころの写真を見せました。マイヤーズは、母親が同じく苦労してきたことを知ったのでした。
それから、マイヤーズは、自分のこれまでの人生の話を始め、養父母のこと、どれだけ良くしてもらったかなどを話し、今では疎遠となった養父母の親戚のこと、これまでの大変だった路上生活などを母親に聞かせたのでした。
驚いたポーリン
ポーリンは、自分の息子が苦労して生活してきたことを聞いて悲しくなりました。自分の息子が幸せでくらしていることをずっと願ってきたこともあり、思いもよらぬつらい話を聞いてつらくなったのです。
ポーリンは、KPIX-5のインタビューで、"息子の兄弟たちや、その子供たちに私がしなければならなかったことを考えると、とても悲しくなるの。彼らが経験してきたことや、しなければならなかったことをね。それに、息子が良く扱われなかったことも。精神的な虐待は絶対に許せないわ。"と、述べていました。
本当の家族の再会
養父母が亡くなって以来、マイヤーズは、やっと愛する家族を持てて、受け入れられたと感じることができたのです。母親、兄弟、甥、姪など、自分がこれまで想像してきた以上に大きな家族を持つことになったのです。そのみんながすぐに、マイヤーズを心から受け入れてくれたのです。
血のつながった家族と再会した後、マイヤーズは、母親と一緒に住み始め、これでようやく正式に家族の一員となれたのです。マイヤーズは、今や健康保険にも加入し、社会保障にも申請することができました。これも、みんな友人であり恩人である保安官代理のスォールウェルのおかげなのです。
とても幸せ
ポーリンも、マイヤーズも、保安官代理のスォールウェルと私立探偵のアスキンズにとても感謝していました。スォールウェルが、初めて家に入ってきたとき、ポーリンは、スォールウェルに後ろを向くように言ったのです。スォールウェルは、困惑しながらも言われた通りに後ろを向くと、"あなたに羽があるのか確認したかったの。だって、あなたは私の息子をここに連れてくださったエンジェル様なんだから。"と、言ったそうです。
マイヤーズに会った後、ポーリンは、マイヤーズに、“あなたがここにきてくれて、私の心がもどってきた感じだわ。とても素晴らしいことなの”と。言ったのです。それに対して、マイヤーズも、“この何十年いつも、どうしてこんなことばかり起こるんだろうと考えていたんだ。でも、もうそれを考える必要もなくなったよ”、と答えたのです。この家族がもう一度元に戻ることは起こるべくして起きたのであり、これもジェイコブ・スォールウェルとマーク・アスキンズのおかげなのです。
これは支援なしでは決して起こらなかった
マイヤーズが、母親と血のつながった家族と再会した話を聞いたとき、これがうまくいったのは、アラミーダ群の保安官代理の警官とミラクル・メッセージの支援があったからこそなのです。
しかも、マイヤーズが、母親に会うための航空券の費用が賄えたのも募金を募ったからなのです。それに、保安官代理が、GoFundMeを立ち上げて、生活費、住宅費、衣類などマイヤーズに必要な資金を2千ドル募ったのです。
ジョニー・ローダス
ジョニー・ローダスと呼ばれる男が映ったこの写真が、彼がどれだけ苦しんでいるか、フェイスブックで頻繁に取り上げられたのです。インディアナポリスのストリートでとられた写真です。このソーシャルメディアで、ローダスの家族を探すようみんなに呼びかけ、この写真は、1000回もシェアされたのです。
凄いことに、この写真がローダスの弟であるデニーのところまで届いたのです。残念なことは、ローダスがホームレスだったため、見つけることができなかったのです。ローダスが弟と再会するのももうすぐですね。
ジョニー・ローダス探し
弟のダニー・ローダスは、兄を探すために、"ジョニー・ローダスを探してます"というフェイスブックを立ち上げました。間違え情報も多く、何か月もの間有力な情報はありませんでしたが、しばらくして、ジョニーを見かけたという人からフェイスブックを通して連絡がありました。その二日後、ジョニーとデニーは、また再開することができ、ジョニーは、路上生活から抜け出すことができたのです。
フェイスブックには、ジョニーの近況が報告されており、“今は、一日に食事を二回して、シャワーも浴びて、きれいな服、静かな部屋を一人で使えるし、ベッドもキングサイズで、ケーブルも冷蔵庫も電子レンジもある。ペプシーも飲めるし、残り物の食べ物もあるしね。とても安全に暮らしているよ”と、投稿がありました。
アイザック・アヴィラ
アイザック・アヴィラ、または、チコと呼ばれているこの男性は、65歳でマイアミのストリートで路上生活をしていました。ミラクル・メッセージのギャビーというボランティアの支援で、アイザックの人生は大きく変わることになりました。ギャビーの提案で、アイザックは、姉のグアダループへ向けてのビデオを撮影しました。
ビデオの中で、アイザックは、どれだけ姉のことを愛していて会いたいかを伝え、もちろん、結果的にグアダループもビデオを見ることになり、二人は再会することができたのです。再会後、アイザックは、路上生活から脱却し、今は、姉と姉の子供たちと一緒に暮らしています。
精神障害に苦しんでいた彼
スペイン出身のホセ・アントニアは、大人になってからのほとんどの時間をパルマの路上で過ごしていました。 彼は技術者としての訓練を受けていましたが、その努力も虚しく、彼は路上での生活を余儀なくされるのです。
彼は精神疾患に苦しんでいました。この病状によって、彼の日常生活は、困難なものになり、特にフルタイムで働くと言うような、決まった時間に作業をこなすと言うルーティンワークが難しくなりました。そして気づけば、彼は路上で生活することが多くなっていったのです。
地元では有名だった彼
25年もの間、ホセは地元パルマでも有名な名の知られた人物でした。 多くの人が彼の存在を認識しており、彼はこれからも地元のトレードマークとして生活を続けていくだろうと予想していました。地元の多くの人々が、ホセに好意を持ち、愛情のこもったニックネーム「ホセテ」と彼のことを呼んでいました。
しかし、年が経つにつれて、ホセの生活が悪化していくのを見ていた地元の人々は、どうにかして彼の生活を立て直したいと、計画を考案し始めました。 ホセに世話になった彼らは、この計画が確かなものになるまで彼へ伝えることは、控えていました。
お金を稼ぐ為に彼は一生懸命だった
わずか30歳で、ホセは家を失い、路上で生活していかなければいけないことに気づきました。しかし、彼は決して諦めず、できる限り、お金を稼ぐ為に全力を尽くしました。彼は、わずかな賃金しかもらえない小さな仕事にも懸命に取り組み、しばらくの間は、マヨルカ島の駐車係員として働いていました。
彼の収入のほとんどは、食料の購入に消え、決して家を借りるのに、十分な資金はたまりませんでした。
その提案を断りはしなかった
25年のホームレス生活で、ホセは路上での生活に慣れきっていました。彼は、55歳でしたが、この生活状態のため、年齢よりずっと年上に見えました。彼の髪の毛は、長く伸びきり、あごひげは毛むくじゃらで、彼の表情には数十年の苦労が刻みこまれていました。
しかし、ある日サルバという女性から、非常に魅力的な提案を持ちかけられた瞬間、彼はこの生活から抜け出すチャンスなのではないかと確信しました。サルバとは、"La Salvajeria”というサロンオーナーであり、 ホセに無料で完全改造計画を持ちかけました。
全く異なる外見になる必要があった
サルバは、プロのキャリアで再び成功を収めたいと思うなら、ホセを全くの新しいルックスに改造する必要があると考えていました。また、彼を完全に立ち直らせるには、ヘアカットとひげ剃りだけでは足りないことも理解していました。
サルバが改造計画かかる費用を賄うことを明確にした後、ホセは喜んで彼女の申し出を受け入れました。 彼は、自分の人生を変える準備が整いました。
最初のステップ
サロンに入ると、ホセはとても居心地が悪く感じました。 25年間、彼は路上で生活をし続け、このような施設は、完全に手の届かない場所になっていたからです。 特に今回は、お金を払っていないので、このような素晴らしい場所にそぐわないと感じていました。
彼は、申し出を受け入れたことを後悔するするべきか迷いましたが、これが人生を変える最初のステップであることを思い直しました。そして、後にこの改造計画が彼の人生にとって、多くの利益をもたらすことを知るのです。
今までの自分にさよなら
この改造計画を始める前に、ホセは長い間、鏡の中の自分を見つめていました。 そして、ホセが、全ての改造がし終わった最終結果だけを見ることができるように、すべての鏡がサロンの壁から外されました。
ホセは、「鏡のドアをしばらく開けたたままにして、自分の姿と向き合うことで、今までの人生を振り返ることができました。そして、鏡が'閉じられた瞬間、そこにいた自分と決別するように感じました。そして、この鏡が再び開かれる時、私の新たな人生が開かれるように感じるでしょう。そう、鏡はまるでシンボルのようです。」
見た目がよくなれば、気分もよくなる
ホセが最初にサロンに足を踏み入れた時、彼の髪は長く灰色で、肩まで届いていました。 もちろん、あごひげもボサボサで、彼自身を不快に感じさせるだけではなく、人を遠ざけていました。
この25年間、明日自分が何を食べるのか、どこで寝るべきか、どう生き延びていこうか、毎日心配していたため、外見についてなんて、全く気にも止めていませんでした。
ホセは、緊張していた
サルバが髪と髭を切り始めた途端、ホセは自分がこの計画にどれだけ緊張しているか話し始めました。改造計画に同意したにもかかわらず、彼はこれからどうなるのか予想がつかず、自分がどうなってしまうのか、ひどく怖がっていました。
しかし、彼の懸念に関係なく、この変身は人生を大きく変えるものであり、再び彼が意欲をを取り戻すのに役立つことも、周囲には分かっていました。 これは、彼にとって彼自身を再定義する瞬間であり、誰にもこんな幸運なチャンスが恵ってくる訳ではありません。
多くの髪を切ることになったホセ
サルバは、ひげとヘアスタイリストのトップグループを連れて来て、ホセ変身に値するような改造試練を与えました。 チームは、この計画は決して、定期的に行われるスタイリングの一種ではないことを考慮し、ベストを尽くしました。彼らには、やらなくてはいけないことがたくさんありました。
ホセは、髪の毛がとても多かったので、髪を切っている間に、他のスタッフが顔の他の部分の毛を取り除かなければなりませんでした。 彼は、ホームレスからスタイリッシュな紳士になることを希望していました。そして、その計画は順調に進んでいったのです。
髪を染めることも忘れずに
ホセの髪は、灰色になっていたので実際よりも何十年も年をとって見えました。 だからこそ、サルバとその彼女のチームは、ホセの髪の毛を茶色で自然な色に戻すのが最善だと企てました。
髪を染めることによって、個人的に見栄えがするようになるだけでなく、周囲からもっと若く見られるようになることも意識していました。
新たなドアが開かれた
ホセは25年間ホームレスとして生活したからこそ、突然、この人生を新しくする機会を得ることができたのだと思いました。今までの人生があったからこそ、ここまで大きく変化することができたのだと。
新しいルックスは、彼に大きな満足感を与え、この機会を最大限に活用する必要があることを決心させました。 彼の新しい外見は、何年も前に失った希望を彼の人生に与えました。 しかし、この大きく変化した自分を有利に働かせることが出来るかは、彼次第でした。
お気に入りスポットでも認識されないホセ
彼は、知人に変わった様子をを見せるために、昔、何度も通っていたバーにビールを飲みにいきました。 ウェイターが彼にビールを差し出した瞬間でさえ、彼らは、この男性が誰であるのか想像もしていなかったので、特に何も言いませんでした。ホセが何故声をかけなかったのか、ウェイターに話しかけた瞬間、彼らは顔見知りだと気付き、唖然としました。
彼らは、突然「今、私はあなたが誰だか分かりました!」と興奮気味に声を発しました。 ホセは、もはやかつてにラベル付けされたホームレスの男性とは見なされず、多くの人を困惑させました。
多くの人から応援されるホセ
ホセがレストランのアシスタントとして働きに行くために、車を駐車場に駐めている時、地元のビジネスマンがふと通りかかりました。そして、ホセを一目見て、あまりの彼のかっこよさにホセのことを、二度見しました。あまりにもイケているその様子に、彼は言葉を失いました。
彼は歩いていき、ホセを応援しているという意味も込めてとびきりのハグをしました。そして、ホセもまた、その何か特別な意味を持つハグを、しっかりと受け止めました。
もうホームレスなんかじゃない
彼の驚くべき改造計画後、ホセの人生はさまざまな点で好転しました。 彼は現在、ほとんどの人の目から見て、非常に魅力的に見え、アルバイトもしており、生活の質を大幅に改善するために必要な財政援助も受けることが出来ました。しかし、ホセにとっての最大の変化は、もう"ホームレスではない”ということです。
彼は今、25年間得る事ができなかったアパートと自身のベッドを持っています。彼の人生はこれまで以上に順調ですが、彼は人生をさらに良くするために、フルタイムの仕事を探しています。