グランドキャニオンと言えば、アリゾナ州に存在する、彫りが深い壮大な渓谷で、コロラド川により、何百万年もかけて築かれたものですよね。しかも、それは、今なお、秘密のベールに包まれた渓谷なのです。赤い絶壁に囲まれたトレイルには、古代岩石層から崩れ落ちた大岩があり、傍に近寄ってみると、そこには驚くべきものが存在します。大昔のアリゾナに存在したものとは、一体何なのでしょうか。
すべては、ブライト・エンジェルトレイルから始まった
すべての始まりは、ブライト・エンジェルトレイルが崩れたことから始まったのです。その大岩は、すぐ下にあるトレイルにあり、壮大な歴史を物語っています。しかし、その大岩も、たくさんのツーリストやハイカーに踏みつけられ続け、その価値を知られずにいました。長い年月もの間、見過ごされてきたものが、その価値がわかる者たちの手によって、ようやく明るみに出たのです。
それを発見したひとは、どんな人?
その岩のすばらしさをようやく発見した人は、生物学者のアラン・クリルという人でした。アランは、その大岩を観察して、そこにとんでもないことが隠されていたことに気づいたのです。その岩にはなんと、恐竜時代以前の情報が隠されていたのです。その4年後に、クリルの友人が、クグランドキャニオンの壮大な歴史において、とても重大な発見の手掛かりとなる大岩についての論文を発表したのです。
歴史をひっくり返す発見
今日、クリルの発見は、人類歴史上稀に見る素晴らしい発見であるとみなされており、もし、その大岩が、ブライト・エンジェルトレイルに落ちていなければ、クリルが、その大岩を見ることもなく、その秘密はずっと発見されずに、歴史の中に埋もれていたことでしょう。グランドキャニオンが、20億年以上もの歴史があると考えると、この発見は、とてつもなくすごいことなのです。
グランドキャニオンが、どうやってできたのか
現在のグランドキャニオンがある場所で、巨大な圧力と気温上昇により、変成岩と火成岩が混ざり、そこに堆積層がたまっていったのです。それにより、現代の地質学者は、それぞれの層での歴史的背景を知ることができ、グランドキャニオンの形成を突き止めることができたのです。しかし、実際の渓谷ができ始めたのは、1憶4500万年から6500万年以前の白亜紀の終わりごろからだったのです。
何百万年にもわたる過程
約7000万年前から始まり、4000万年以上の年月をかけて、アリゾナ州付近の下に存在する構造プレートの活動により、コロラド高原が形成されました。この高原は、海抜1万フィートの高さにもなり、その広さも13万平方マイルにも及びます。この地域は、現在のアリゾナ、コロラド、ユタ、ニューメキシコにまで広がっており、何百万年もの歳月をかけて形成されたのです。
排水ができなくてグランドキャニオンができた
コロラド高原が形作られたとき、そのあたりの排水状況にかなりの変化が生じ、雪解け水や雨水などが、ロッキー山脈の一部にたまり、西の方にしみ込んでいったのです。時が過ぎ、この溜まった水が、現在のコロラド川になり、この世界で一番パワフルで、破壊的な川となったことは言うまでもありません。この強大な流れがあったからこそ、グランドキャニオンの曲線ができあがったのです。
グランドキャニオンの底にある川
長い長い年月の間、コロラド川は高原を流れ続け、キャニオンを壊したり、岩を崩し続けています。また、堆積層を通して、曲線を作り続け、変成岩と火成岩を形成し、川の縁側に堆積したものも浸食し、キャニオンの底で水が流れるキャニオンを形づくっているのです。それが、現在のキャニオンの底にある川となったのです。
氷河期には、コロラド川にも影響が
時が経つにつれて、岩はどんどんコロラド川で削られていき、キャニオンはどんどん広がっていきました。今から約2百万年ほど前に、氷河期時代に突入し、気候も大きく変動しました。その結果、湿気が増し、コロラド川の流れも強くなり、更に、岩が削られていくのでした。氷河期が断続的に発生することで、キャニオンのサイズも大きく変化し、現在の形となっていったのです。
時とともに大きくなるキャニオン
グランドキャニオンのコロラド川によって作られた曲線の形は、現在、世界七不思議のひとつとして数えられています。地質学者によると、氷河期時代の洪水や雪解け水が終わったあたりの1200万年前に、キャニオンの現在の深さが形成されたようです。このグランドキャニオンで、アラン・クリルが、偉大な発見をしたのです。
長い間グランドキャニオンのあたりは人が住んでいた!
地質学的調査の結果、なんと長い間そのあたりに人が住んでいたことがわかったのです。氷河期の最後に時代に、コロラド川の形が作られたころに、アリゾナ州のあたりに人類もやってきました。その後、16世紀中ごろになると、ヨーロッパからの移民も、この自然の驚異を目の当たりにしました。
ツーリストだけが、訪問者ではない
アリゾナ州にあるグランドキャニオンを訪れる人の大多数は、観光目的ですが、それだけではありません。1858年ごろになると、アラン・クリルなどのサイエンティストもまた、グランドキャニオンに魅了され、足しげく通ったのです。その結果、グランドキャニオンの過去、現在そして未来についても、いろいろ分かりだしたのです。グランドキャニオンのの岩壁が、たったの13種類の石で構成されていることも、素晴らしい発見のひとつなのです。
有名な岩
現在のグランドキャニオンの有名なスポットは、多くの岩が形成され、一年を通して、多くの人々が訪れて、写真もたくさん撮られています。例えば、グランドキャニオンの北の端にあるイシス・テンプルタワーとして知られている露頭は、海抜7千フィートにもなり、グラネット・ゴージとして知られている場所は、コロラド川の流れを保ち、キャニオンを走っています。
グランドキャニオンの秘密
長年たくさんのツーリストやサイエンティストが、グランドキャニオンを訪れているにも関わらず、グランドキャニオンには、まだたくさんの秘密が隠されています。例えば、2014年に、ニューメキシコ大学の地質学者が、これまでずっと信じられてきたグランドキャニオンの形成説に異議を唱える論文を発表したのです。それによると、これまで知られてきた説は、全くもっと間違っていると唱えたのです。
グランドキャニオンの実年齢はもっと若い!
有名な国際論文雑誌であるネイチャー・ジオサイエンスにて、地質学者のカール・カールストーンが、グランドキャニオンは、実際に知られている年齢より、7000万年も若いと発表したのです。カールストームは、その論文で、"確かに、グランドキャニオンの堆積層により、異なる歴史や年齢がわかるが、500から600万年前までコロラド川の流れが走っていたことを考えると、それがグランドキャニオンを形成することとリンクするとは限らない。つまり、グランドキャニオンの実質年齢は、もっと若いはずだ"と述べています。
この主張で論争が起きた
グランドキャニオンの年齢におけるカールストームの主張は、たくさんのサイエンティストの間で論争を引き起こしました。しかしながら、カールストームの主張を裏付ける証拠は、長続きしませんでした。2019年のボストンのラジオ放送WBURで、地質学者のウェイン・ラニーが、"コロラド川は、常にグランドキャニオンの岩壁を削っていて、過去に関する歴史の証拠を洗い流しています。どちらにしろ、重要なのは、すぐに調査をすることなのです"と述べています。
浸食で、新たな証拠が出てきた!
だからと言って、グランドキャニオンの歴史をたどる重要な証拠が消えるとは限りません。逆に、良いこともあるのです。グランドキャニオンの岩は常に浸食されていて、そのおかげで、何百万年も出てこなかった証拠が我々の目にさらされることもあります。そのひとつが、クリルが発見したものなのです。その古代の謎を知る手がかりとなるものの中に、大昔に、このグランドキャニオンで生きていた生物の化石というものがあります。
化石となった足跡
アラン・クリルは、なんと岩の中に生物の足跡の化石を発見したのです。2019年の5月に、国立公園は、グランドキャニオンの遠方で、生物の足跡の化石が発見されたと報告しました。予想通り、この足跡は、4本足の生物のものとわかり、2800万年前に、このあたりに生息していたものだとわかりました。なんと、この生物たちは、恐竜が生息する以前に、この地球を歩いていたのです!クリルがこの岩に目をやったおかげで、この生物たちが生息していた事実を発見することができたのです。
生き物が生息していたことを発見!
解析の結果、古代生物学者により、発見されたこの生物が、Ichniotherium であると特定されました。この生物は、diadectomorphsとして知られている4足歩行生物で、砂漠地方では、これまで確認されたことがありませんでした。これは、大変素晴らしい発見で、現在は絶滅しているものの、こういった動物が、かつてこの地にいたという貴重な情報となったのです。
更なる情報
2019年に、ブラジルの古代生物学者であるヘイター・フランシスチーニが、"グランドキャニオンの国立公園で発見されたこの足跡の化石は、古生物学のdiadectomorphsにおいて、とても重要な情報を提供してくれました"とプレスリリースで述べています。更に、“diadectomorphsは、完全に水なしの状況に適応することは到底できるとは考えにくく、こういった乾燥した砂漠化で生息していたことは、かなりの予想外でした”とも述べています。
データベースの編集
2019年に、国立公園は、これまでの古代生物学に関するデーターベースの中でも、一番大きなデーターベースを作製したと発表しています。この中には、グランドキャニオンの化石の歴史に関する総合的なカタログも含まれていて、これにより、サイエンティストだけでなく、グランドキャニオンを訪れたツーリストにも、昔生息していた生物や、現在も生息する生物についての多くの情報を与えることができるようになりました。これもすべて、化石の発見のおかげなのです。
サプライズはまだまだ続く
専門家やアマチュア発掘家などが、グランドキャニオンで、化石を求めて何十年もの歳月を費やしていますが、まだ発見されていないサプライズが存在していました。そこで、またクリルの話に戻りますが、2016年に、ノルウエーの地質学者が、生徒たちを連れてブライト・エンジェル・トレイルにやってきました。クリルは、いつものようにハイキングをしている感じでこの地にやってきました。ところが、クリルは、まだこの時、この地で、有史以前の状況を知る証拠を目の当たりにするとは考えてもいませんでした。
岩の中の秘密
ブライト・エンジェル・トレイルは、その美しさで有名で、グランドキャニオンの南方の端から始まります。そのトレイルは、8マイルの長さにもなり、同時に、コロラド川へと続く道は、4千フィートまで下がります。トレイルの途中には、いくつもの岩が存在し、ブラハムテンプルや、チオプスピラミッドなどが点在しています。でも、クリルが気になった荘厳な岩石層は、それではなかったのです。クリルが本当に気になったのは、もっと小さくて、岩壁の中にあったほとんどだれも気付かないものだったのです。
特別な大岩
ある日、クリルが、生徒たちと一緒にハイキングをしている最中に、トレイルの横に大岩があるのに気がづきました。それは、普通の大岩ではなく、何か変わったマークで覆われていたのです。しかも、クリルは、それがどこから来たものか察しがついていました。それは、マナカチャ岩層と呼ばれる崖から来たもので、明らかに、その大岩は、地面に落ちたものだったのです。
特別なタイプの岩
その大岩は、スーパイ群と呼ばれる岩の層の一部で、グランドキャニオンの岩壁にみられる泥岩や石灰石でできたマナカチャ岩層のものでした。何百万年もの間、コロラド高原を作り上げた地質が混ざり合ってできたものだったのですが、マナカチャ岩層の一部が崩れ落ちて、その結果、トレイルに横たわる大岩となったものでした。
写真を専門家へ
クリルは、大岩に刻まれた面白いマークの写真を撮って、ネバダ大学の古生物学者であるローランドにその写真を送りました。その写真を見てすぐに、ローランドは、それが意味することに気づきました。そのマークは、何百万年も前の化石化した足跡で、クリルのこの驚くべき発見は、2年後に開かれた古脊椎動物学会で発表されることとなったのです。
次の年には、更にすごいことが。
クリルの発見から約2―3年後になってやっと、その真実が明かされたのです。2020年の8月19日に、ローランドと彼の同僚であるマリオ・カプートとザッカリー・ジェンソンは、科学雑誌であるPLOS ONEに論文を投稿しました。3人の専門家は、クリルが生徒たちと一緒にハイキングをしたブライト・エンジェル・トライルで見つけたものも含めた化石の足跡についての考察を述べたのです。
その足跡がつけられた年代も判明
すごいことに、前回のマナカッチャ岩層の研究と、地質学的マップの情報から、研究者たちは、かなり正確に足跡のつけられた年代を特定できたのです。結果的に、クリルが、トレイルの大岩に気づき、その価値を理解できたことが、グランドキャニオンで歴史的に最も価値のある発見へと結びついたことは言うまでもありません。
その足跡は、何百万年も前につけられた
足跡の解析の結果、ローランドは、それが、3億1300万年前につけられたものであると断定しました。つまり、これは、石炭紀に起源をなすことを意味していました。これにより、グランドキャニオンで発見された化石の年代記録を更新し、最も古い脊椎動物の足跡の化石となりました。クリルが単にラッキーで、石の中の足跡を発見しただけでなく、これは、かなり貴重な発見となったのでした。
まだ疑問が残る
確かに、研究者たちは、この足跡が、どの時代につけられたものか特定することができましたが、まだ、この足跡がどんな生物のものだったかまでは断定できていませんでした。しかし、おそらくそれは、爬虫類のものであることまでは推測できていました。2020年の8月に、ローランドは、"この足跡は、地球上に住んでいた卵を産む生物で、最も古いもので、砂丘を歩いていた最も初期の脊椎動物だったのでしょう"と、国立公園の報告で述べています。
昔のアリゾナは全く違っていた
専門家によると、当時のアリゾナ州のあたりは、赤道に近い場所にあり、平野だったようで、今の地形と全く違っていたようです。ローランドは、何百万年も前に、この有史時代の二匹の生物は、地面を斜めに歩き、そこでマナカッチャ岩層の上に足跡がついたのでしょう。そして、その足跡をクリルが、何百万年もあとになって見つけたんですよ"と述べています。
まだ疑問点も残る
この二匹の異なる生物が、足跡を残したという説に納得する専門家もいれば、そうでない専門家もいました。例えば、同じ生物が、たまたま違うときにその場所をまた歩いたのかもしれないと反論する人もいたのです。しかし、どっちにしろ、二つの異なる足跡が、速度の異なる状態で足跡を残していることは明らかでした。
奇妙な歩き方
この二つの足跡が、二匹の生物もしくは、異なる状況で同じ生物につけられたことは確かであるが、もう一つ確かなことは、一匹の動物は、L-S walkと呼ばれる歩き方をしていたようです。2020年のThe Arizona Republicのインタビューで、ローランドは、"この生物の動きは、左の後ろ足がまず出て、それから左の前足、そして、右の後ろ足、最後に右の前足が出るといった動きをしたようです・"と述べています。
現在、多くの動物が、L-S walkで歩いている
ローランドは、更に、"犬や猫などの四足歩行をする動物は、ゆっくりと歩くとき、L-S walkと呼ばれる歩き方を常にしています。つまり、生物の世界で、この歩き方が、特に稀であることは決してありません。どんなに昔の生き物でもです。ブライト・エンジェル・トレイルで見つかったかなり昔の脊椎動物も、この歩行方法を使用していていますが、この情報は今まで見つかっていなかったのです"、と述べています。
足跡がどのように保存されていたのか。
ここで疑問が残ります。この足跡が、何百万年もの間、どのように保存されていて、どうやって、こんなにきれいな状態を保てていたのでしょうか?専門家によると、足跡が、砂や水に覆われた状態であったなら、それも可能であったと推測しています。長い長い歳月が過ぎても、足跡は残り、石の一部と化します。何百万年もの間、この古代の足跡は、マナカッチャ岩層に隠され、誰かに発見されるまで潜み、いずれこの世界に姿を現すのです。
どれも確かではない
専門家たちは、この化石の足跡について、もっといろいろと知りたいところですが、ローランドは、まだまだ結論へ導くことはできていません。この議論は、古代生物学の世界で、更に議論が巻き起こるところなのです。2020年に発表されたAssociated Press の中で、グランドキャニオンのマーク・ノベルは、"科学コミュニティーの世界で、この足跡のことや時代背景、特に、この足跡を付けた生物についての結論は、まだまだ議論中なのです。"、と述べています。
この大岩は、今や観光名所
まだまだこの足跡について疑問が残っていますが、クリルが最初に発見したブライト・エンジェル・トレイルの大岩は、まだちゃんと残っています。今や、ツーリストたちの観光名所となり、古代生物学者や地質学者たちも足を運んでいます。ノベルによると、"多くの人が、ここを通りますが、何も気づいていません。サイエンティストは、しっかりとした目があるので。それでも、ここに何かがあると知っています。興味を引くのです。"と述べています。現在、この大岩のことが広まって、人気スポットとなっていますが、あなたも一度は行ってみたいですか?
素晴らしい自然
初めてナイアガラの滝を訪れた時のことを覚えていますか?とても素晴らしかったですよね?その驚くほどの広大さには圧倒されるほどです。年間を通して、何百万もの人たちが、訪れて、その写真を家族や友達にSNSでシェアしてますよね。ところが、信じるか信じまいかは別にして、50年ほど前には、この滝は、美しいとはかけ離れたものだったんです。何かサイエンティストを心配させるようなことが起こったのです。色々調べてみても、何が何やらさっぱりわからず、ただただ滝の美観を損なってしまったのです。
信じられない発見
ナイアガラの滝の裏側を観察することが、サイエンティストにより報告されましたが、実際に具体的なプランはなかったのです。当然、計画が発表された後、市民からも厳しい意見があがりました。自然に逆らうことは簡単なことではなく、常に何かしら不都合が発生するものです。本当にちゃんとしたプランがあったのでしょうか、それとも行き当たりばったりだったのか。滝の水が、緩やかになったところで、見物人たちも、その様子を見守り始めました。
大自然の不思議
1万8000年前まで、ナイアガラの滝は存在していませんでした。北極が、現在、北アメリカとして知られている場所から離れ、その巨大な氷が解けたことで、滝ができたのです。氷河の大きさはとてつもなく、その雪解け水が、ナイアガラ川に流れ込んでいきましたが、それで、すぐに滝ができたわけではありませんでした。とてつもない時間をかけて崖が浸食されて、やっと現在のナイアガラの滝の形が出来上がったのです。
便利な国境線
現在、ナイアガラの滝は、カナダとアメリカの自然の国境線となっています。多くの人が、どちらの国の側からも、ナイアガラを訪れていますが、いつから始まったのかはよくわかっていません。おそらく1000年以上前から始まったと思われますが、世界的に広まる以前から、多くの人がその絶景を楽しんでいたと思われます。公式的な記録もないため、誰が最初の訪問者かはわかっていません。
サミュエル・デ・シャンプラン
公式書物によると、最初にナイアガラの滝の噂を聞きつけたヨーロッパ人について記録が残っています。フランスの探検家のサミュエル・デ・シャンプランが、その人です。17世紀初頭となっていますが、彼が、最初にナイアガラの滝を訪れたヨーロッパ人ではありません。最初にナイアガラの滝を訪れたのは、ルイス・ヘネピン牧師で、ニューフランス(現在の北アメリカ)を求めてやってきたようです。
新発見
5年後に帰国したルイス・ヘネピン牧師は、ナイアガラの滝について、自分の考えや思想を詳しく書き綴ったのでした。彼の書物、"新発見"にて、はじめてナイアガラの滝の名前が世に出たのです。つまり、ナイアガラの滝は、1683年にはすでに存在していたことになります。名前の語源は、もともと海峡を意味する“onguiaahra(イロコイ語)”から来ています。この書物が出版されてから、ヘネピン牧師は、ナイアガラの滝をはじめに訪れたヨーロッパ人として有名になりました。
ツーリストたちの新しい観光名所
実のところ、1800年代になるまで、ナイアガラの滝は、観光名所ではなく、最初のヨーロッパ人が、この素晴らしい滝を訪問してから200年もかかって、観光スポットととなったのです。それから、ビジネス目的で、多くの商業が盛んになっていき、ホテル経営者などが、多額の資金を投資して、ナイアガラの滝の傍に商業事業を開始したのです。それ以後、ナイアガラの滝は、多くのハネムーンや新婚さんが訪れるようになりました。
商業が盛んに
ナイアガラの滝を訪れる目的は、もちろん、余暇を過ごすためですが、それ以外の理由もあります。事業経営目的で訪れる人も多く、大滝での事業成功を見出してやってきたのです。19世紀の終わりには、ナイアガラの滝のすぐそばに、世界初の水力発電所もでき、膨大な電力を供給し始めました。
二コラ・テスラ
水力発電は、聡明で革命的な発明でしたが、欠陥だらけでした。実際、300フィート以上電気を運ぶこともできず、意味がありませんでした。しかし、二コラ・テスラの登場で、技術が改善し、世界を驚かしたのでした。テスラは、交流という方法を用いて、電気を遠くまで運ぶことのできるシステムを発見したのです。初めての実験で、電気を発電所から20マイルも離れたニューヨークのバッファローまで送ることに成功したのです。
今でも電気を供給し続ける
100年も前に発明されたにもかかわらず、テスラが生きていたころと同じように今も健在で、昔と同じように今でも重要な役割を果たしています。自然の力を利用した電気の供給ほど素晴らしいものはありません。人口の都市部でどんどん過密していく中で、これほど価値のあるものはないでしょう。人口が増えれば、それだけ環境汚染も増えますが、これはクリーンエネルギーであり、その心配もありません。
北アメリカとカナダ
ナイアガラの滝は、アメリカとカナダの自然の国境線であり、両国に属しています。どちらの国も、年間を通して1500万人ものツーリストが訪れ、この自然のすばらしさを堪能するのです。1分間に600万立方フィートもの水が流れ落ちといることを考えると、滝から落ちたら、どれだけのダメージがあるか、怖くなりますよね。おそらく、街もひとたまりもないでしょう。とりわけ、水と火は、便利で使い勝手がいいですが、使い方を誤ると、とんでもないことになりますしね。
水の量が変わる
実は、ナイアガラの滝の水の量は、夜と昼では違うのです。信じられないかもしれませんが、夜になると、ナイアガラの滝の水の量が減るのです。これは、人的影響が作用していて、自然に起こるものではないようです。50年代には、特に、夜にツーリストの数が減るため、地方の会社の水の供給を増やすという条約が結ばれたのです。ツーリストが、夜にこっそりやってきて滝を見ても、その違いに気づくことはまずありませんが。
冬のナイアガラ
ナイアガラの滝って、冬になったら凍ったりするのか気になったことはありませんか?気温が0度になったら、滝の水も凍ってしまうのか?その答えは、YESです。でも部分的に凍ってしまうだけみたいです。川の一部が凍ったりはしますが、それで滝の流れが止まることはありません。もう一つの理由として、川の水が蒸気化して、雲のようになります。その光景を見るために、わざわざ冬のナイアガラを見に来る人もいるのです。
ナイアガラの滝は、3つの滝つぼからなる
詳しく言うと、ナイアガラの滝は、カナダとアメリカに属していますが、特に、アメリカは、いろいろな場所のナイアガラの滝を所有しています。例えば、ブライダル・ベイル・フォールとアメリアン・フォールは、アメリカ側のものになります。逆に言えば、カナダだけが所有する滝は存在しません。ナイアガラの滝最大の滝が、ホースシュー・フォールですが、この滝が、二つの国を分けています。その名前の通り、高い場所からこの滝を見ると、馬の蹄の形をしていることも伺えます。
ニューヨークの人々の懸念
定期的にナイアガラの滝を訪れないと、時間とともに変化する滝の状態に気づくことはありません。滝から水が落ちれば落ちるほど、滝の魅力が失われていく。少なくとも、ナイアガラの近くに住むニューヨークの人はそう思っています。100年前でも、現在でも、初めてナイアガラの滝を訪れたひとは、その光景に感嘆するはずです。しかし、滝の底には、どんどん石がたまり続けており、いずれ被害を及ぼすかもしれないのです。